こんにちは
京極です。
今回は僕の自己紹介をしたいと思います。
僕がどんな人で
何が好きで
なぜビジネスを始めたのか
このようなことを細かく書いていきたいと思います。
この出会いによって人生が良い方向に変わる人が
一人でも多く生まれたらいいなという気持ちで
書いていきます。
やりたいことしかやらない小学生時代
僕は小学生の頃は
とにかく体を動かすことが好きで
スポーツが好きな子供でした。
なので、
休み時間や放課後は
常に外で遊んでいました。
17時、18時くらいまで
外で遊んで家に帰ってくるので
帰ってきた時には疲れて
ご飯を食べて寝るというような
生活をしてました。
勉強はやらないし、大嫌いだったので、
宿題もやらないし、
授業もいつも違うことを考えて
全く話を聞いていませんでした。
特に夏休みの宿題は酷く
ポスターを書く、自由研究、工作などは
全部親にやってもらっていました。
普通のドリルなどの宿題は
全部、答えを丸写しして提出していました。
このような感じで遊んでしかいない、
勉強が大嫌いな子供でした。
いろいろ頑張ったけど何もうまくいかなかった中学時代
部活編
中学校に入ると
部活を強制的にやらないといけない学校だったので
僕はテニス部に入りました。
もともと球技は好きで運動神経は
いいと思っていたのですが、
なかなかレギュラーになれず、
同級生が先にレギュラーに選ばれて
その時は
絶対、俺の方がうまいのに、
何であいつが選ばれるんだよ
と悔しい思いをしました。
その後に
先輩も卒業して
自分の代になってレギュラーメンバーには
なれたのですが、
なかなか勝てず、
あまりいい結果を残せませんでした。
最後の大会では隣の学校に全国優勝するような人達がいて、
試合したのですが
ボコボコにされてほとんど点数も取れず
負けました。
部内には練習がめんどくさいからと
サボる人もいましたが、
僕は毎日必ず、練習に参加して
朝練は7時から始まるのですが、
6時に行ったり、6時半に行ったり、
人よりも早くから練習していたのですが、
最後は市内の大会ですら勝てずに
引退することになりました。
勉強編
勉強の面では
小学校に引き続き
嫌いで全くしていませんでした。
そして、
テストで1桁を取ったり
学年でワースト10に入ってしまうくらいの
成績を取ってしまい、
それで親がこの子は高校に行けないん
じゃないかと思ったらしく、
親に勧められて塾に入ることになりました。
その塾の先生で当時大学生のバイトだった人なのですが、
その方がすごく熱心に教えてくれる人でした。
その時は僕は数学と英語を
教えてもらっていたのですが、
特に数学が嫌いでできませんでした。
当時は数学の基礎も分かっていなかったので、
僕に合わせて基礎から教えて頂きました。
そのおかげで少しずつ理解できるようになり、
初めて勉強が楽しいと感じました。
1番ひどい時で1桁だった点数は
50〜70点くらいは取れるようになりました。
中学3年の時は
部活を引退してからは
毎日塾に行っていて
夏休みは一日12時間以上
塾で勉強していました。
2学期以降は
毎日、学校が終わると
家に帰らずに
そのまま授業も
入っていないのに
自習をするために塾に行って
夜の10時まで
ずっと勉強していました。
ですが、
第一志望には落ちて
別の高校に行くことになります。
人間関係編
中学3年になると、
2年までは仲が良かった人が
急に無視してきました。
最初は聞こえなかっただけかと思い、
もう一度、話しかけても無視で
明らかに避けてる感じを出してきたので、
「これは避けられてるんだ」と思い
そこからは話しかけず
卒業まで一切話しませんでした。
3年生の時は
無視した人以外は
そんなに喋る人もいなかったので
毎日毎日苦痛で仕方ありませんでした。
これが3学期など、卒業直前
だったら良かったのですが、
1学期だったので、
2学期、3学期とすごいきつかったです。
休み時間やグループを作って何かをする時は
特に最悪でした。
休み時間は喋る人がいなくて
トイレの個室にこもっていたこともあります。
この時の1分、1秒はとても長かったです。
そこからは
人の目が怖くて仕方なかったです。
話す相手がいないから
いかにそれをバレないようにするかを
考えてました。
休み時間になったら
別のクラスには友達がいたので
とりあえず、
そのクラスに行って
その友達がいなかったら
絶望です。
友達を探すふりをして
何度も廊下を行ったり来たりしたり
別の階に行ってフラフラしたりしてました。
グループを作って作業する時は
いつも残って人が足りないグループに入っていました。
しょうがないから入れてやるよ感を感じながら入ってました。
そのグループの人もそんなに仲良くないので
気まづそうにしてて、
僕も超絶気まづかったです。
結局、無視してきた理由は
別の人が僕のことを気に入らなかったらしく
適当な僕の悪口を言って
僕と話さないようにしたみたいでした。
この頃は何度、不登校になろうと思ったか分かりません。
毎日、風邪引かないかな
何かの病気になって入院することにならないかな
などと思っていました。
しかし、
僕自身、頭が悪く
勉強が出来ないので
不登校になったら
高校に行けなくなっちゃうん
じゃないかという不安があり
何とか学校に行ってました。
どうにか
最後まで
学校には通えました。
卒業の時に
卒業アルバムの後ろに
友達に
コメントをもらうページが
あったのですが、
その時の担任が
1時間の授業の時間を
全て、コメントを書き合う時間に
したので、
僕はその時間
ほとんど椅子に座っていて
その時間の終わり間際に
小学校が同じだった人が
情けでコメントを書きにきてくれました。
ここでも
すごい気を使ってるのを感じて
気まずかったです。
終わりのチャイムの音で
こんなに
ホッとしたのは
これが初めてだった気がします。
中学生のこの経験から
僕はおそらく人間不信に
なったんだと思います。
この時には
もう人は信じない
友達を作ってもどうせ離れていく
と思っていました。
この気持ちは高校に入っても続きました。
もっといろいろやっておけば良かったと後悔が残る高校時代
人間関係編
高校に入っても
友達なんか作らなくていいや
と思っていたので、
自分から話しかけたりせずに、
ずっと1人で過ごしていました。
それが続き、
5月くらいだったと思います。
ここはイマイチはっきり覚えてないのですが
2泊3日で
勉強合宿か仲良くなろうの会のような
ものがあり、
そこでまたグループを決めるのですが、
僕は当然自分から話しかけたりもしていないので
仲のいい人は居なく、
余ったとこに勝手に入れられるだろうと
思っていました。
そしたら
ある人が話しかけてきて
同じグループになろうと
言ってきたのです。
その人はすごくフレンドリーで
明るい人でした。
そんな人に一緒になろうと
言われると思ってなかったので
ビックリしました。
せっかく誘ってくれたのに
適当に返事するのは
さすがに感じ悪いなと思い、
「いいよ!」と明るく返事しました。
完全に心を開くまでには
だいぶ時間がかかりましたが
その後もその2人ともう1人の4人で
よく過ごしていました。
1年の時だけクラスが一緒だったので
2、3年は廊下ですれ違ったら話すくらいでしたが
ずっと仲良くしてくれてました。
その中の2人とは
今も半年に1回くらい会う中になれたので
良い友達に出会えたなと思います。
恋愛編
高校3年の時に
僕は人生で初めて告白をしました。
結果を言うと振られたのですが、
その相手は
2年の時に同じクラスで、
3年の時も隣のクラスでした。
クラスの中でも1位2位を争うくらい
可愛い子で、
他にもその子のことを好きな人は
何人かいました。
2年の時に
一時期、その子がよく話しかけてくる時が
ありました。
その時によく褒めてきたり
同じ経験があるとすごい嬉しそうに
話してきたので、
「もしかして俺のこと好きなのかな?」
と思ったりしましたが
その人はスクールカースト
でいうと、上位のグループにいて
僕は下の方だったので、
そんなわけないだろと思って
普通に話してました。
そして、
そのうち話さなくなり
3年生になります。
3年ではさっきも書いたように
隣のクラスになったので
2年生の時ほど
顔を合わせることもなくなりました。
ですが、
僕のクラスと隣のクラスは
なぜか半分ずつ
理系の人と
文系の人がいて、
僕とその子は文系で
文系の授業の時は
隣のクラスの文系の人が
僕のクラスに来て授業を受けていました。
なので、
この時は顔を合わせることになります。
またある時から
ちょくちょく話しかけてくるようになりました。
それが少し続いた時に
軽い噂でその人が自分のことを好き
ということを聞きました。
僕もかわいいし、いいなって思っていたので
告白しました。
しかし、振られました。
その後に、
たまたまその人と友達が話しているのを聞いて
もう少し、告白が早かったら
付き合ってたと言っていたのです。
その時に
2年の時も少し好きな時期があった
ということも言っていて、
「じゃあ2回好きになったってこと??」
と思い、それなら少しでもいいから
付き合ってくれればいいじゃん!!
と思いました。
振られたときに
「絶対振ったこと後悔させてやる」
「今は無理だけど、将来かっこよくなって
お金持ちになって、あのとき振らなきゃよかった」って
思わせてやると思った記憶があります。
その後は恥ずかしさで
廊下ですれ違ったりしても
一切、顔を見れずに
卒業することになりました。
勉強編
高校では
一番行きたかった高校にはいけず
滑り止めで受けていた
高校に行くことになります。
その第一志望に決めた学校は
中学の時にやっていたテニス部があるのと、
近いという理由で決めましたが
落ちてしまい、
行くことになった学校には
テニス部がなかったので、
高校時代は部活はしませんでした。
中学校の時に出会った
塾の先生のおかげで
少し勉強が好きになっていたので
高校に入ってからも
勉強は頑張っていました。
ですが、
高校2年生になると
めんどくさくなったのと
大学に行きたいとかもなかったので、
勉強はしなくなり
高校生活の後半は何も頑張らずに
ダラダラ学校に行って
適当に授業を聞いて帰る
という何も意味のないことを
していました。
高校卒業してから
部活とかに入るなり
何か一生懸命やっておけばよかったなと
思いました。
僕が行っていた高校は
自称進学校のような高校で
とにかく大学進学率を
売りにしていたので、
指定校などを使い、
絶対にどこかしらの大学に
行かなければいけない
というような学校でした。
僕は大学に行くよりも
早く仕事して
お金を稼ぎたいと思っていたので
周りが受験の準備をしている中で
何もしていませんでした。
しかし、
大学に行かないことを許されるのは、
プロのスポーツ選手になるような数人で、
残りの人たちは
学校側が強制的に指定校などを持ってきて
どこかしらの大学に行かなければいけない
という状況だったので、
渋々、大学に行くことになりました。
バイト以外はダラダラしていた大学時代
大学に入っても
高校時代同様、ダラダラ過ごしていました。
通学に3時間くらいかかっていたので
サークルなどにも入らず、
ただ授業を受けて帰る、
ちょくちょくバイトするといった
生活をしてました。
今思えば少し無理をしてでも
何かサークルなどに入っておけばよかったなと
思います。
高校の頃はバイトが禁止だったので
大学に入って、初めてバイトをしたのですが、
働くのってこんなに大変なんだと思い、
この頃に初めて、副業を探した記憶があります。
そのころにブログアフィリエイトで稼げる
という記事か何かを見つけ、
ブログを作ってみたのですが、
結局、ブログを作るのに
すごい労力を使い、
文章を書くことも苦手だったので
1記事書いて挫折しました。
その後もいい副業はないかななど
探していましたが、
結局見つからず、
ダラダラ学校とバイトに行くだけ
というような生活をしていました。
それでも、副業で生活できるようになりたいと
思っていたので、就活の時期になっても
就活しませんでした。
授業だけは最低限真面目に
行ってたので卒業はできたのですが、
就活をしていなかったので
大学卒業後、
少しの間バイトをしていました。
大学卒業後
その間も副業を探してちょっと
やってみたりするのですが、
成果などは出ず
流石にこのままずっと過ごすのは
まずいと思い、
ブランド品や貴金属の買取店に
就職しました。
その会社に入った動機も
少しブランド品が興味あるから
という理由だけだったので
いざ、入社してみるとノルマなどはなかったものの
買取ができなければ、
会社の利益は0なので、
買取ができないと上司の圧があり、
嫌な顔をされ、陰口を言われていました。
このままずっと雇われて、
安い給料をもらって、
上司に怒られるような生活を
続けるのは嫌だなと思いました。
そこから何かいい副業はないかなと探し出して
転売で稼いでいる人を見つけて
自分もできるかなと思い調べたり、
FXも上手くいけば会社辞められるんじゃないかと
思って少しやってみたりしました。
しかし、転売は常にリサーチして
商品を仕入れなきゃいけないし、
FXはずっと上手くいってる人でもある日
一気に無一文になったというのを見て、
違うなと思っていました。
情報発信、コンテンツビジネスを知る
ある日、
Twitterを見ていると
ある人を見つけました。
その人は
人を幸せにしながら
お金を稼いでいました。
そして、
その人のことを調べていると
僕と似た境遇だったことを知りました。
学生時代、学校に馴染めず
いじめられたと言っていました。
同じ界隈の別の人も
何人か見てみると、
結構、学生時代に
家庭環境に恵まれなかったり、
いじれられていたり、
不登校だったりと、
僕と似た境遇の人がたくさんいて
その人たちが、
たくさんの人を幸せにしながら
お金も稼いでいて、
結果、
明るくなったり、
自信を持てたり、
堂々と大きい声で話せるようになった
と言っていて
こんな僕でもコンテンツビジネスをすれば、
たくさんの人を幸せにできるんじゃないか
そして、
僕が家族や周りの人を
助けられたらいいなと思い、
コンテンツビジネスを
始めようと思いました。
その後、コンテンツを買ったりして学んでいる時に
稼げている人がどうして稼げているのかを
話しているコンテンツがあり、
その時の僕はなんで稼げているか
分からなかったのですが、
それは
「何かを売った時に稼いでいる」
と教えられた時に
「確かに!!」
と思いました。
しっかりコンテンツビジネスをやろうと思う
その後、
すぐに商品を作って販売すると
売れました!
その時は100円で販売したので、
数千円くらいの売上だったのですが、
これを積み重ねていけば
10万、100万、1000万と稼げる
自分の今いる世界とは違う世界に行ける
確信に変わりました
そして初めての商品を販売して自分で稼げた
ということに
めちゃくちゃ嬉しくて鳥肌が立って何度も売上欄を
見て興奮したのを覚えています。
僕がしたいこと、情報発信を通して目指す世界
これまで、
僕の過去や
どうやってコンテンツビジネスに出会い
0→1をしてきたかを
話してきました。
僕はコンテンツビジネスに出会ってから
100万円以上のお金を使って
ずっと勉強をしてきて、
0→1を突破しました。
これを続けていけば
100万円、1000万円は
稼いでいけるだろうなと思っています。
そして、
僕は1人でも多くの人が
幸せに生きられるような
世界を作りたいと思っています。
中学生時代のところでも書きましたが
僕自身もいじめまではいかないかも
しれませんが、
友達だと思っていた人に
急に無視をされたりして
嫌な気持ちになったりしました。
他にも、僕が
小学校、中学校が同じだった
同級生がいるのですが、
その人は(今後はOさんと呼びます。)
大家族で
服はいつもお下がりなんだろうな
と思うようなものを着ていて、
色褪せていたり、
サイズがあっていなかったり、
するものを着ていました。
おそらく
お風呂には毎日入っているんでしょうけど
独特な匂いがいつもしていました。
このようなこともあってか
Oさんは
小学校、中学校と
そんなに友達はいませんでした。
友達はいなかったのですが、
小学生の頃は
いじめなどはされていませんでした。
ですが、
中学校に入ると
1,2年のときに僕は
同じクラスだったこともあって
Oさんがどんなことをしていたり
されていたりするのかは
どうしてもちょくちょく
目に入ってきていました。
1年生の時は
それなりに普通に過ごしていたのですが、
2年生になると
Oさんは
いじめられるようになりました。
いじめを見ているのは
あまり気持ちのいいものでは
なかったのですが、
僕は何も出来ずに
見ているだけでした。
最初は
何とか耐えていたように
感じましたが、
2、3ヶ月後には学校に来なくなり
不登校になりました。
これは卒業してから
聞いたのですが、
結局、Oさんは
不登校になった後、
あまり学校に馴染めない人が
行けるような
市の施設に行っていたと聞きました。
その施設に行った後、
どうしてるのかは分かりませんが
いじめられた時に
自分で人生を終わらせるような
1番最悪な選択をしなくてよかったなと
思いました。
もう1つありまして、
これは僕が
高校2年のときの
話なんですが、
僕が住んでいた地域には
7校くらいの中学校がありました。
そのうちの1校の話です。
この学校はM校とします。
高校2年のときに
いつものように
朝、準備していると
テレビでそのM校で
いじめが原因で
自殺した生徒がいるという
ニュースがやっていました。
正直、
普段であれば
可哀想だなと思うくらい
なんですが、
自分の住んでいる
すぐ近くの学校で起きたことだったので、
そのニュースを食い入るように
見てた気がします。
そのあと、
身近で起きたということもあり
気になって調べました。
すると、
最初は悪口や仲間はずれなど
だったようですが、
それがどんどん酷くなっていった
ようでした。
その子は担任にも相談したようですが、
話を聞くどころか
その担任も一緒に
いじめのようなことをしていた
と知りました。
生徒を守る立場の人間が
むしろ、逆のことをしていたのか
と知り、驚きがおさまらなかったです。
最終的にこのM校は
学校全体で
いじめによる自殺ということを
隠蔽しようとしていたようで、
なんとも言えない気持ちになりました。
このように
いじめが原因で
最悪、
自分自身で
人生を終わらせてしまう人もいます。
完全に0にすることは
難しいと思いますが、
このような人を
1人でも多く助けてあげられたらなと
思っています。
これが僕が
情報発信を通して目指す世界です。